国語教師×読書

公立高校国語教諭が、読んだ本について徒然に書き綴ります。

11月23日(金) 大阪教育大学池田地区附属学校研究発表会に参加したよ の巻

みなさん初めまして!はこせんと申します!

ブログを書くのは初めてなのですが、自分自身の学びをアウトプットする場として最大限活用することができたらな、という想いからブログ開設に至りました!

なんせブログを書くのは初めてなので、至らぬ点やわかりにくい記述等も多々あるかとは思いますが、ご容赦ください。なんせブログを書くのは初めてですからね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

はい。というわけでお久しぶりでございます(茶番はここまで)

このブログ、3ヶ月近くも放置していたのですね。埃被ってましたわ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

本日は読書についてではなく、11月23日の勤労感謝の日に参加させていただいた、

大阪教育大学池田地区附属学校の研究発表会

についての備忘録です。

大変学びの多い会でしたので、ここにその会での学びを記録させていただきたいと思います。

 

 

 

 

 


1.公開授業Ⅰ 中学3年国語 情報を編集するしかけ 

  ーメディアにひそむ意図を読むー

 

2009年の皆既日食に関する実際の新聞報道やニュース番組などを元に、メディアの「意図」に着目することができるようにすることを目標とした授業でした。

ニュース番組で実際に用いられた8種類のカットの中から生徒達がそれぞれ4種類のカットを選び、その選んだカットを用いて1分間のニュース番組をタブレット端末を用いてパワーポイントで作成、発表するといった言語活動を実践されていました。

授業者はあくまでもファシリテーター的立ち位置として授業の補助に徹している、といった印象を受けました。

単元の最後には説得力・構成力を意識した批評文を書かせ、社会・メディアを見る目がどう変化したのかを確かめる言語活動を設定されているそうです。

この授業を通して子供達は自分自身が「発信者」であることの自覚をもつことができるようになることが最終的な目標であるようです。

授業後の研究協議の際には指導助言の先生から「言語生活者である以上、我々一人一人がメディアである。そのことに自覚的であることによってこそ、メディアを題材とした教育が活きる」というお話がありました。個人としての経験や語彙、さらにはその時の状況等が「内なるもの」として私たちの中には存在し、その「内なるもの」の型取りによってこそ他者に伝えることが可能になる。その「内なるものの型取り方」こそが言語化であり記号化であり、編集であるというわけで、その意味で私たち一人一人が「メディア」である。…ということのようです。

はい。このお話にめちゃめちゃ感動しました。鳥肌立ちました。なにか僕の中にあった混沌がスッと整理されたような気がしました。この「内なるものの型取り方」を子供達が身につけることができるようにすることが、僕の教育の理想型であるような気がします。

あとは実際にどのような教具を用いて授業を進めるか、ということに対しての拘りについてもお話がありました。タブレット端末を用いることの有用性や、静止画・絵コンテ等を用いることの効果についても丁寧に検討されていました。

 

 

2.公開授業Ⅱ 小学5年国語 「百年後のふるさとを守る」(光村図書五年)

  ~伝記の「書き始め」と「書き結び」に着目し、役割と効果を考えよう~

 

伝記文学を2つ用いてそれらの「書き始め」「書き終わり」を比較しながら2つの教材の違いや共通点について考えていき、知識や理解を深めていく、といった授業でした。

黒板に貼った模造紙に、子供達からの意見を元に授業者の先生がサインペンを使ってどんどんと書き込んでいく、といった形式でした。

僕はこの実践を見て、このレベルの子供達であればグループ毎に同じような「ポスター」を作成してそのポスターを元にポスターセッションをすれば良いのでは無いか、と感じました。ので研究協議の際にそのような提案をさせていただきました。

ただ、この授業をされた先生は学習が「個」で行われるということに対する意識を強く持ってらっしゃるようで、その点では僕の考える授業はそぐわないものかもしれませんね。

さて、伝記文学というものは文学的文章としての側面と説明的文章としての側面を併せ持つ文章であるからして、非常に複雑な構造を持つ文章であるといえるかと思います。その点で伝記文学を教材に用いて「書き始め」「書き終わり」に着目して授業を展開されるという実践は非常に有意義なものであると思います。大変勉強になりました。

指導助言の先生もおっしゃってましたが、「書き終わり」とはそれまでの文章の流れを汲んだ非常に重層的な構造をもつ部分であるため、本文のあらゆる場面との関係生が浮き彫りになる重要な部分であるということは頭に入れておく必要があるかと思います。

また、小学校教育における「めあて」の重要性は言わずもがなですが、僕は「めあて」は高等学校においても非常に重要であると考えます。この授業の「めあて」が本当に妥当なものなのかということを念頭において授業を作ることを徹底していきたいですね。

 

 

3.ワークショップ ファシリテーション・グラフィック

 

 

 

 なまら楽しかったです。