国語教師×読書

公立高校国語教諭が、読んだ本について徒然に書き綴ります。

言語化って、めちゃめちゃ大事ですよね。

こんにちは。はこせんです。

猛暑日が続いた後の30℃、めちゃめちゃ涼しく感じてしまいませんか?

これはたぶん脳みそが蕩けてるんだと思います。脳のバグですね。

ところで僕は実は北海道出身ですので、気温が30℃を超えると活動できなくなるのですが、これは僕以外の全ての道民にもあてはまることですので、皆さん道民には優しくしてあげてください。

北海道民は遺伝子レベルで暑さに弱いですからね。道民を外に連れ出す時には必ずクーリッシュを常備しておきましょう。

 

www.morinaga.co.jp

 

 

ICEBOXでも可です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

はい。今日はガッツリ国語教育に関係する本をご紹介したいと思います。

 

 

 

 

 

 

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国語の授業の作り方 はじめての授業マニュアル

です。

 

この本はTwitter上でも有名な古田尚行先生(@ coda_1984)が書かれました。

この本もめちゃめちゃおもしろかったのですが、個人的には古田先生のTwitterアカウントがめちゃめちゃツボなのでおすすめです。

あと、この本の装丁めちゃめちゃ良くないですか?

フォントの具合もめっちゃ好きです。ジャケ買い不可避ですね。

 

 

 

 

 

 

 

 

この本の優れている点を3つご紹介したいと思います。

 

1.授業の「暗黙知」を言語化している

2.教員経験の浅い人、もっと言えば教育実習生を対象に書かれているため非常に丁寧でわかりやすい

3.参考文献、注釈がとても多い

 

 

 

 

 

 

はい。というわけです。ぶっちゃけ以上ですが、なんとなく物足りないのでこの本から特に僕がおもしろいなと思った箇所を引用します。下線部や太字は僕が勝手にやりました。

 

 

 

 

 

このような話を読むたびに、古典教育論によくある「昔の人とつながる」という発想の恐ろしさを痛感します。何に笑うかという感性そのものも文化的に育てられた結果の一部といえるので、安易にこの笑いを受け入れることは難しい。むしろ、このような話からは古典世界との断絶を踏まえ、古典世界を、古典世界の言説を批評していきたいものです(132頁)

 

枕草子』の「上に候ふ御猫は」という章段に関する古田先生の言葉です。「古典世界との断絶」という言葉がとてもしっくり来ました。

土佐日記』の「門出」の最後の部分に「上中下、酔ひ飽きて、いとあやしく、潮海のほとりにて、あざれ合へり。」という有名な一文があります。これは貫之の諧謔表現として生徒達にもよく「あざれ合へり」の解釈を「おもしろいもの」として押しつけているような気がします。僕が高校生の頃はここの解釈を聞いたところで、「だからなんだよ」と思って終わった覚えがありますが、むしろこのような表現に対して「古典世界との断絶」を意識させることの方が学びが深まるのではないでしょうか

 

 

 

 

 

そもそも教材とは到達すべき読みや解釈ではなく、その先にある、あるいはその過程において教育内容を学び、教育目標を達成することが求められます。(157頁)

 

はいこれはとてもとてもとてもなまら大切なことだと思うのでみなさん暗記してください。

『こころ』や『羅生門』や『源氏物語』や『桃花源記』や『であることとすること』を文章として読んだとして、その先・過程にある教育内容・教育目標を意識しなければいけないわけです

「先生」と「K」との関係についていくら詳しくなったとしても

「下人」の心情をいくら的確に読み取れたとしても

品詞分解して「雀の子を犬君が逃がしつる」「烏などもこそ見つくれ」を現代語訳できたとしても

「不復出焉。遂与外人間隔。」を部分否定として訳せたとしても

丸山眞男の思想をテクストにのっとって理解できたとしても

その教材で学んだことを、次にどんな場でどのように活かせるかを想定して授業をしなければ意味がないわけです。

高校国語の授業では『こころ』『羅生門』博士を生み出すことが目的なのではなく、ましてや「古典文法マスター」「歩く漢文句法辞典」を育てることが目的なのでもありません。

国語科という教科が、いかに教材に依存した教科であるかということを意識する必要があります

 

 

 

 

 

国語の授業は道徳ではありませんから、なるべくならあらゆる言葉や思想飛び交う空間、あるいはそのようなことが許される空間を保っておきたいと個人的に思っていることの1つです。(165頁)

 

国語の授業は道徳ではありません」。はい。これも皆さん暗唱できるようにしておいてください。

極端に言えば、生徒の意見や考えが反道徳的なことであったとしても受容することが必要な場もあるということを想定すべきだと僕は考えています。(もちろん、時と場合によりますし、内容の程度にもよりますが)

ですが、僕自身が授業を実践する上で意識していることは「発言のしやすさ」であり、全ての生徒が思ったことや考えたことをその場ですぐに発言することができれば授業は活性化すると考えています。

授業中に発言することができなかったとしても、何らかの方法で生徒達の素直な意見や感想を引き出すことができるように工夫すべきだと思います。(僕自身は授業の終わりに3分ほど時間を設けて「振り返りシート」に自由に感想を書かせています)

また、これは道徳にも言えることではあると思いますが、唯一絶対の正解を求めるのではなく、クラス全体で協働して最適解を導き出せるような授業を実践していきたいですね。そのためには、「国語の授業では、誰のどんな意見でも尊重される」という意識を生徒達に育んでいきたいですね。

 

 

 

 

 

新任のうちは生徒とも年齢が近いこともあって、生徒は気軽に寄ってくることが多くなります。それに浮かれていて、授業力を高めることをせずに年齢を重ねていくと、わりと悲惨なことになります。(中略)若いうちだからこそ、授業力を磨いていく必要があるのだろうと思います。「尊敬」はされなくてもよいのですが、「信頼」はされたいものです

 

 

 

肝に銘じておきます。